雑記だから政治のことも

世界の貧困層が豊かな生活をすると、とても資源が足りないので、地球が何個か必要みたいな話を聞いた事がある。以前は素直にそう思っていたし、だから資源の奪い合いは必然なのだと考えていた。しかし、最近は果たして本当に極端に資源が足りなくなるのだろうか?と思うようになった。私自身でいえば、1日2500kcal程度を摂取できて一定量の電気を消費できれば十分な生活ができる。食料についてはもっと少なくて良いくらいだ。もちろん、そういう生活ができるのは、ここが日本であって豊かなインフラに支えられているからこそではあるので単純には言えることではない。しかし、世界人口が増えるとて、世界の国々が手を携えれば、あまねく人々が一定の労働の対価として一定の資源を受け取ることができるようにできるのではないか?と、ちょっと思う。そんなユートピアは国・人種・宗教といった様々な違いを越えた先にあるものなので、全く現実性が無いのでたまに頭によぎる位。しかし、少なくとも侵略戦争や支配者の私利私欲のための政治や全く科学的とも思えない環境政策の様なものを無くして行けば、世界的に資源の余裕が生まれるのではないかと思う。そして、地球には海(海底)に資源のフロンティアがある。

これらの問題意識で日本をみてみる。まず、食糧生産に国策として本気で取り組んでいるようには見えない。まあ何となく。減反したり、耕作放棄地に太陽光パネルを敷き詰めたりしているんだから。酪農家が牛乳を搾ってそのまま捨てているという話もあった。また、太陽光発電やEVにも懐疑的である。原発化石燃料の利用を控えたエネルギー政策が科学的経済的に効率がいいとは思えない。日本は海に資源を求めた方が良いと思うし、それは同時に化石燃料を開発する事も含む。

私の考えるユートピア共産主義のようなものかもしれない。しかし、これまで共産主義を掲げた組織とは価値観が根本的に異なる。共産主義を標榜する組織に大きな貧富の差が生じていることがそもそもおかしい。感情的な話になるが、社会にある程度の貧富の差が生じることは避けられないとしても、それがあまりに大きくなるような仕組みに懐疑的だ。様々な仕事があり皆懸命働いているのに、100倍1000倍レベルでリターンが違うのはおかしくないか?と子供のころから思っている。しかも、社会を支えるわけでも無くて、無いなら無いでよさそうな仕事の方がリターンが良かったりする。富を均すような方法はないのだろうか?自由・人権・民主主義・資本主義は当然大事だし、人間の欲望や野望が文明の発展に寄与することもある。私の考え方は矛盾に満ちているし、温室にいる者の妄言かもしれない。とも思う。

話は飛び飛びで結論も無し。こんなことを考えているというだけ。もっと勉強しないといけないね。